医局員の紹介

ここでは 小児科を考えている学生・研修医のために 現在の医局員の経歴などを紹介します


もともと内科医志望の私でしたが、2年間の初期研修を経て小児科の魅力に惹かれて入局を決めました。医師という仕事は、体力的にも精神的にも大変な時期が誰にでもあるように感じます。私も私生活で落ち込むことがあった時期に、果たして全力で患者さんと向き合えているのだろうかと悩んだときがありました。そんな時に小児科での初期研修が始まりました。小さな身体で頑張っている子どもたち、入院生活の中でも楽しみを見出す力、時にはこちらまで笑顔にしてくれる満面の笑み、他の科にはない魅力に溢れていました。小児科でなら頑張れると心から思い、今でもその気持ちは変わっていません。

入局2年目、入局6年目に育休産休をとらせていただき、今は2人の子どもを育てています。キャリアとしては途中でお休みしたことになりますが、子育てをした経験は小児科医として普段の診療にとても役立つものになっています。また勤務形態も考慮していただき、不安なく仕事復帰もできました。子育てしながらの仕事は以前のように出来ない部分もありますが、母としても成長しながら「細く長く」小児科医としてこどもたちの力になっていきたいと思います。(M, 30代、女性)


小学校高学年のときに国境なき医師団の番組で、栄養失調で衰弱している子供たちとその子達を救うために奮闘している医師の姿を見て、私も医師になって子供達のために働こうと思いました。そのときの感動からずっと小児科医になるとなんとなく心が決まっており、2年間浪人して医学部に入りました。小児科医になろうと思っているものの、初期研修中は赤ちゃんやおませな女の子にどのように接したらよいのか戸惑う自分もいました。

初期研修が終わる前にご縁があり結婚・出産をしましたが、出産後に大きな気持ちの変化がありました。自分の子供と同時に他の子供たちもかわいく愛しく感じたのです。その後小児科に入局し、出産・育児休暇を頂きながら働いています。新生児期、大きく成長・発達する乳幼児期、学童期、心と体の変化が目覚しい思春期と、その時期により罹る疾患や相談内容は多岐に渡りますがそれも興味深く、微力ながら子供たちの力になれることが嬉しく、やりがいを感じています。(Y, 40代 女性)


 元々関東出身の私が、この縁もゆかりもなかった鹿児島という地でまさか小児科医をしていようとは、若い頃の自分には想像もできなかったと思います。高校時代から医学の道に興味はありましたが、医学という分野がイメージできず、薬学部に入学し卒業しました。しかし直接患者さんともっと触れ合いたいという思いが強く、医学部を目指すことになりました。20歳過ぎてからの受験勉強とアルバイトの日々を経て、無事鹿児島大学医学部の学士編入試験に合格しました。
 入学後も子どもには興味がありましたが、小児科は志望しませんでした。というのも子どもが「好き」ということと子どもを「診る」ということは違う、と思っていたからです。しかし学生中に出会った小児科医師の志望動機が「子どもが好き」という理由だけだ、と聞いて自分も小児科を目指していいんだ、と思うようになりました。その後、大変な時期もありましたが、子どもの笑顔に癒されて今まで乗り越えられてきています。
 私の人生の目的は一つでも多くの「縁」を手に入れることです。自分が携わった子どもたちが元気になった姿をみると、あの時頑張って良かったな、とまた一つ縁が増えたことを実感します。一方で治療がうまくいかず亡くなることもあります。あの時こうしていれば、などと悔やむことも時々ありますが、だからこそ元気に生きて歩いている姿がどれだけありがたいことか身に染みます。
 小児科のやりがいは自分が頑張った結果が、子どもの元気な姿という形で返ってくるという点にあると思います。もし小児科に少しでも興味があれば、ぜひ私たちと一緒に働いてみませんか? あなたとの出会いをたくさんの子どもたちが待っています。(S, 40代 男性 )


小児科の魅力、それは元気になったこどもが笑顔をみせてくれることです。内科志望だった研修医の時に小児科、小児外科を選択しました。入院し治療後に機嫌がよくなって笑ってくれる乳児、有難うございましたと手を振りながら元気に退院していくこども達の姿を見ることができたことから小児科の入局を決めました。入局後は研修医時代とは違って重症のこども達をたくさん受け持ちました。重症な子でも治療が奏功すると退院時には笑ってくれます。しかし、中には後遺症を残す子、救命できない命が少なからずありました。最先端の医療であれば助けられたかもしれないと考え、鹿児島では「助けられなかった命」を減らすために、小児集中治療の研修を目的として2年間国内留学をさせてもらいました。麻酔科と集中治療の研修をしました。鹿児島に戻ってきてからは大学病院のICUで小児心臓外科をはじめとする外科の術後管理のサポート、集中治療の必要な内科的治療、成人ICUの先生と共に治療を行いました。まだ救命できない命もありますが、もう救命できないと思った患者さんが元気になって病棟や外来で会える時が、本当に嬉しいです。もう助からないと思っても復活する可能性を秘めているのがこどもで、それを治療するのが小児科です。たくさんのこども達の笑顔を一緒にみませんか。(Y, 40代 女性)


研修医として勤務した先で出会った小児科の先生方の姿勢に魅力を感じ、小児科を志すようになりました。3年目で入局しましたが、卒業大学の卒後義務のためにそこから6年間は僻地医療に従事したため、小児医療とは少し疎遠となりました。卒後義務が終わり晴れて小児医療に戻るタイミングではありましたが、今までやってきた僻地医療、総合医療のキャリアをもう少し追求したくなり、多方面に相談させていただいた結果、大学病院の救命救急センターで勤務を始めました。5年が経ち小児科専門医よりも先に救急科専門医を取得する形となりましたが、やはり小児医療への思いは変わることなく、現在40歳を目前にしてまた一から小児医療を学び直す機会をいただいております。救急も小児科も患者様へ常に全力投球できるところが私の性に合っていたのかもしれません。
救急・総合診療医の中でも小児科を得意とする医師を目指しこれからも頑張ります。(H, 30代 男性)


私は、研修医制度が始まる前の世代です。他大学の出身でしたので6年生の夏休みに鹿児島大学の小児科を見学させていただきました。見学した内容は忘れましたが、先生方が優しく、夜の街に連れて行ってもらったり、アパートに泊めていただいたりとお世話になりました。帰り際に「国家試験に受かったら、5月においで」と言われて、そのまま入局し現在に至っています。鹿児島大学小児科に入局した大学の部活の先輩の「点滴とるの上手くなりたいだろ」という誘いで心カテの助手をさせてもらうようになり、循環器グループに入りました。30代前半には国内留学もさせていただき、いろいろな経験をさせていただき技術も身につきました。とても感謝しています。

大学受験の際、面接で「将来は地元に帰り、地域医療に貢献したいと考えています」と言ったことを覚えています。当時は、「そんな先のことは分からないけど、当たり障りのないことを言っておこう」とぐらいの感覚でしたが、現在、地元の病院でバリバリ地元貢献しており有言実行です。思い返せば、自分の実力はちっぽけなもので、周りの人の支えがあり今の自分があると思いますので、今後は小児科医として自分ができることを周りの人に還元して行きたいと思います。(T, 40代 男性)


私には生まれつき病気があり、物心ついた頃から注射や病院通いが生活の一部でした。それがきっかけで医師を志し、他大学を卒業し、鹿児島に戻ってきました。当初から自分の経験を最も活かせる小児科医になろうと決めていましたが、初期研修だけでは内科研修が足りないと考え、卒後3年目は市中病院で内科医として救急、終末期、在宅医療など様々な経験を積みました。

卒後4年目に入局した際には、他大学出身で、ややイレギュラーな道を進んでいる私でしたが、鹿児島大学小児科のアットホームな温かい雰囲気で迎え入れてもらいました。小児科医になってからの日々は決して楽なことばかりではありませんが、『先生が主治医でよかった』と『また主治医になってください』と声をかけてもらったり、2年間の離島勤務で異動の際に診ていた患者さんたちから寄せ書きアルバムをもらったことはとても嬉しかった思い出です。

置かれている状況で自分に求められていることは何かを考え、多くの子供たちの役に立つことで自分の受けてきた恩返しができればという思いで仕事をしていますが、逆に子どもたちから日々たくさんのことを教えてもらっています。

子どもに与えるつもりが実は子どもやその家族から多くの何かをもらっている、それが小児科医の仕事なのかもしれません。これからも真摯な姿勢で子どもたちと向き合っていきたいと思います。(T, 30代 男性)


私は、小児喘息があり、幼少期から小児科医がヒーローでした。初期研修を終え、小児科医になり、大学病院や市中病院で後期研修を積み、卒後6年目に小児科専門医試験に合格しました。その後は、小児腎臓専門医を目指し、2年間、国内の先進施設で研修しました。卒後11年目に腎臓専門医試験に合格し、現在もそれを活かした仕事をしています。小児科医は楽しく、難しく、やりがいのある仕事で、たくさんの仲間と切磋琢磨して仕事に励んでいます。小児科医になってよかったと思っています。(Y, 40代 男性)


私は小児科医を志して大学の医学部に進学し、2年間の初期研修医を終了後、ほぼ迷うことなく小児科へ入局しました。大学病院・市中病院での勤務を経て一次医療から三次医療までの小児診療に携わり、夢であった小児科医として働かせて頂いているいま、改めて日々実感していることは、小児科へ入局して本当に良かったということです。

確かに大人の診療とは違う難しさや大変さはありますが、それに勝るやりがいが小児診療にはあると思います。子ども達が病気と闘って元気になっていく姿を見られることはもちろんですが、子ども達の日々の成長を身近に感じることが出来るのも、小児科の醍醐味のひとつです。子どもの1日は、私たち大人の数か月、いえ、1年にも匹敵する変化があります。まだまだ未熟な私は、その責任を前に押しつぶされそうになることもありますが、子ども達の成長・笑顔に励まされ、周りの先生方・医療スタッフに支えられ、子ども達と一緒に成長できる、この仕事が好きです。子ども達の小さな手の、温かさが大好きです。

子ども達のために共に切磋琢磨できる若い先生方が、これからもどんどん増えていってくれることを願っています。(K, 30代 女性)


他大学を卒業し、地元である鹿児島に戻ってきました。医局の温かい雰囲気と、みんなでこどもたちを元気にしようという熱い思いを肌で感じたことが、入局の決め手となりました。症例に関することに限らずいろいろな相談ができ、医局の存在は仕事だけでなくプライベートでも心の支えです。そして、こどもたちが抱えている疾患や悩みを共に解決しその笑顔をみられることは、私にとって何ものにも代えがたい喜びです。また、現在小さなこども2人の子育ての真っ最中です。医師としてのキャリアが途切れてしまうと思われがちな産休・育休ですが、その経験が仕事に大いに役立つことも小児科の魅力のひとつだと思います。こどもたちと一緒に、これからも小児科医として母として成長していきたいです。(K, 30代 女性)


小さい頃に自分を診療してくださった医師に憧れ小児科を選びました。当初は「都会で学んだものを地元に持ち帰る」という目的の元、関東圏の病院で初期研修を行いましたが、研修を進めるにつれ医療において「地域やそこに住まう方々の生活を知ることの重要性」を実感するようになりました。若い時から県内を巡ってより深く地域を知り、「鹿児島で出来ることを最大限に」との思いで鹿児島大学病院の小児科プログラムで専攻研修をスタートしました。生まれも育ちも鹿児島であるにも関わらず、地域の魅力や問題点を全く知らなかったことに気づき日々学びになっています。自分を育ててくれた地元の子供達の成長に関われることが何よりうれしく、子供たちのより良い明日をご家族とともに考える日々に悪戦苦闘しながらも充実した毎日です。夜中にお産で呼び出されても「おめでとう」を伝えることができ、疲れても「頑張ってよかった」と思える瞬間が多くある、この仕事が本当に大好きです。学生時代から続けているバスケットボールを健康の為にいかに継続するかが今後の課題です。(I, 20代 男性)


私は医学部5回生のときのポリクリで小児医療に興味を持ち、卒業後に小児科を選びました。初期研修を行った大学病院で、先輩医師から教わって心エコー検査の練習をするなかで循環器診療に興味を持ち、小児科のうちでも循環器を専門に選びました。卒後11-12年に国内留学で生まれて初めて東日本に居住し、見聞を広げることができました。大学病院勤務中に臨床研究で学位を受け、現在は小児一般診療、循環器専門診療の二足のわらじで充実した毎日を送っています。魚釣りが三足目になりそうな今日このごろで、気をつけています。(D, 40代 男性)


私は、常に真摯な態度で診療にあたっている先輩医師にあこがれて小児科を選びました。初期研修を行った大学病院では、血液・腫瘍の患者が多く、自然と血液・腫瘍を専門として選びました。市中病院に勤務していた時に大学に通って研究をし、卒後9年目に学位を受けました。また、以前から海外で医療に興味があったので、卒後10-12年に米国でクリニカル・フェローとして臨床研修を受けました。それ以来、一貫して小児がんの診療に従事しています。病気で困っているこどもを助けることが自分の天職だと感じられ、小児科医になってよかったと思っています。(Y, 50代 男性)